劣等感を生み出すのは日本の教育かもしれない
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
子どもの頃は年齢的・身体的にできないことが多く、劣等感を感じることが多くあります。
小学生は中学校には通えないですし、身長が小さいうちはジェットコースターには乗れません。
このような子どもの頃の「絶対に越えられない壁」から劣等感が生まれることはたくさんあります。
日本では海外のような飛び級のシステムがないので、どんなに優秀でも周りの同級生と同じ授業を受けなければいけません。
学校によって偏差値が高い低いの違いはありますが、年齢の壁は越えられません。
一方海外では、12歳で大学に通っている子達も存在します。
才能を押し殺して、周りに合わせて我慢をする必要がないんです。
この年齢による教育の壁が、日本では大学まで続きます。
高校や大学に行かずに社会人になった最短の場合でも15歳。昔なら成人として扱われた年齢ですし、性格や思考などがある程度固まっている年齢です。
私達はこの15歳までに「周りに合わせて我慢すること」「どんなに頑張っても上には行けないこと」を数多く体験します。
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部活や習い事でも同じようなことがあります。
例えば中学校で野球部に入ったとしても、1年生の新入部員は部長にもキャプテンにもレギュラーにもなれません。甲子園に出場するような実力重視の学校ならチャンスはあるかもしれませんが、ほとんどの学校では部長やレギュラーを務めるのはは3年生が多いでしょう。
習い事でも、コンクールに出られるのは年齢が高い子や経験年数が長い子ということが多いです。
15歳までの間に「頑張っても自分はダメなんだ」と考えてしまう機会って意外とたくさんあるんです。
もちろん子どもの頃はその感情を認識していない場合もあります。
周りがみんなそうなので、当たり前のように我慢をして、当たり前のように周囲に合わせます。
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この考え方の癖がついてしまうと、大人になったからと言って突然変わることは難しいです。
例えば30歳の大人が今から勉強して医者や弁護士を目指すことだって物理的にはできるはずです。実際になれるかどうかは別としても、挑戦する権利と自由は持っています。
数は少ないですが実際に挑戦し夢を叶える人もいらっしゃいます。
それでも多くの人は「自分には無理だろう」と考えてしまいます。
周りに合わせてサラリーマンとして働き、嫌な上司にも我慢してしまうのは、自分は頑張っても出来ないという考え方の癖がついてしまっているからです。
最近では起業したりフリーランスとして生活している大人も増えてきました。
日本人が大人になって手に入れる挑戦する権利と自由を使いこなしている人いらっしゃいます。
何もかも周りに合わせる必要はありません。
「出る杭は打たれる」という文化も関係しているかもしれません。
海外ではそれぞれが持つ「個性を大切に」するよう教育されますが、日本では「個性を抑えて」周りと協調することを教わります。
自分の個性を大切にし、長所を伸ばす教育を私達は受けてきていません。
先ほどは年齢的な例をあげましたが、同級生内でも劣等感は感じます。
同級生より成績が悪い場合などは想像がつくと思いますが、飛び級できるほど成績が良い子も劣等感を感じる場合があります。
テストで毎回100点を取れるほど優秀でも、授業中に先生の話を聞かず別の本を読むことは許されません。マンガなどではなく勉強に関する本だったとしてもです。
とにかく周りに合わせるということを教えられるので、周りに合わせられない自分がおかしいのか...自分が変なのか...と考えてしまうことがあります。
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何が原因かもわからず「自分には無理」「自分には出来ない」と考えてしまう癖はありませんか?
それは子どもの頃に無意識のうちに身についた考え方かもしれません。
すぐに変えるのは難しいですが、大人になったあなたには無限の可能性があります。どんなことにも挑戦できます。
あなたの挑戦に明確な理由もなく反対する人がいたら、その人も子どもの頃に身についた考えから抜け出せていないのかもしれません。周りと同じであることが正解だと無意識に思ってしまっているのかもしれません。
もし「自分には無理」と感じる瞬間があったら、それは本当に大人になった今でも無理なことなのかと考えてみてください。
無意識に理由もなく無理だと思い込んでいないか、周りに合わせようとして自分の個性を抑えていないかを確認してみてください。
過去の嫌な出来事は自分と切り離す
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
「過去」というものは自分の記憶の中にしか存在しません。
過去に囚われたり縛られたりする場合は、過去と自分を切り離して考えるとこころがラクになります。
過去に起こった嫌な出来事を引きずってしまうことがありますよね。
中には何十年も過去の出来事に影響されることもあります。
ですが「過去」というもの自体がこの世界に存在しているわけではありません。
過去の出来事と、その時に感じた自分の感情が結びつき、脳に記憶されています。
衝撃的な出来事が起こったり、強い感情を感じたりすると特に記憶に残りやすいです。
例えば大きな原因だと、事故や災害の記憶、身近な大切な人の死やパートナーとの別れなどがあげられます。
このような出来事を完全に自分と切り離すことは難しいと思います。
ですが大きな原因だけではなく、職場であった嫌な出来事、自分を否定されるようなことを言われた、腹が立つようなことを言われたことなども頭から離れなくなってしまうことがありますよね。
1日に何回も嫌な出来事を思い出し、そのことを考えてイライラすることはありませんか?
現在起こっている出来事ではないのに過去の記憶を思い出して、今現在その出来事が起こっているようにイライラした感情が呼び起こされてしまうことはないでしょうか?
過去は過去であり、現在ではありません。
過去に起こったことは過去に起こったこととして、現在の自分と切り離す必要があります。
まずは過去に起こった出来事と、その時に感じた感情を切り離しましょう。
例えば「上司に理不尽に怒られてイライラした!」とまとめて記憶するのではなく、「上司が理不尽なことで怒っていた」その時に自分は「イライラした」というふうに、客観的に振り返ります。
そうするとそれぞれの原因を分けて考えることができます。
・上司が怒っていた原因は何なのか?
・上司はなぜ自分に怒ったのか?
・なぜ自分が怒られたのか?
・自分はなぜイライラしたのか?
上司側の原因は上司にしかわかりません。ここで勝手に推測せずに自分側の原因を考えてみます。
・なぜ自分が怒られたのか?
→たまたま近くにいたから、何か小さなミスをしたから
・自分はなぜイライラしたのか?
→上司の言っていることが理不尽だったから、怒られたことに納得できなかったから
このように原因を分けて考えると、上司が怒った原因と自分がイライラした原因は一致しないことがあります。
もしかしたら上司が怒ったのは疲れてイライラしていたからかもしれませんし、普段から職場の人間関係にストレスが溜まっていただけかもしれません。
出社前に夫婦喧嘩をしたのかもしれませんし、子どもが反抗期で言うことを聞かないのかもしれないですよね。
自分とは関係ない原因でイライラするような出来事が起こることはたくさんあります。
コンビニで買い物したらレジの人の態度が悪かったなどの出来事もそうです。
自分に原因があると考えることで、自分が嫌な気持ちになりイライラしてしまいます。
相手が怒ったり態度が悪かったり、嫌なことをしてくるのは相手側の問題であり、相手に原因があります。あなたとは関係がない場合も多いです。
過去に起こった「出来事」と、自分の「感情」を結び付けないようにしましょう。
相手が怒っていたり態度が悪いのは相手の原因、自分とは関係がないことと考えます。
原因ではない人に八つ当たりしてしまうことは誰にでもあります。
学校で友達と喧嘩してイライラしていたので、お母さんに八つ当たりしてしまったなどの経験がある方も多いと思います。
上司に怒られてイライラしてしまい後輩に冷たく接してしまった、などもそうですね。
イライラの原因の相手に直接イライラを返すことのほうが少ないかもしれません。
原因とは無関係の相手に嫌な思いをさせてしまうことは誰にでもあります。
嫌な出来事と自分の感情をすぐに結びつけるのではなく、客観的に原因を考え事実をしっかりと見極めることが必要です。
一旦落ち着いて冷静に考え、本当に自分が原因なのかそうでないのかを判断してみてください。
人間だって動物だから臆病でも弱くてもいい
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
毎日の生活の中で、人間が動物であると意識する瞬間は少ないと思います。
人間には道具を使える知能があるので地球上で繁栄することが出来ましたが、自然の食物連鎖の中に入ってしまえば人間は弱い存在です。
人間よりも強い動物はたくさんいます。
自分が臆病で弱虫だと感じたことはありませんか?
野生の動物たちは臆病です。危険を犯すと命の危険があるからです。
いつも安全な縄張りの中で暮らしています。
安全なところで暮らすのが当たり前であり、そこから移動する時は細心の注意を払います。
これは誰に教えられるものでもなく、動物としての本能的なものです。
本能というものは簡単に変わるものではありません。
毎日同じ喫茶店に行っていつも同じメニューを頼む、というのも危険を避ける本能に近いものがあると感じます。
安全だとわかっている場所で安全なものを食べることで安心します。
ペットを飼っている方は経験があるかもしれませんが、新しいエサをあげたら警戒して全然近づかなかったり食べなかったりということはないでしょうか?
動物は本能的に安心安全を求めます。人間も同じです。
動物は基本的に警戒心が強く臆病で、命の安全を求めます。好奇心に溢れてどんどんジャングルの奥へ進んでいくという野生動物は少ないはずです。
どんな強い動物がいるかわからない場所へ冒険してしまうと、命を落とす危険があります。
必ず周囲を警戒し、安全を確かめてから進みますよね。
人間も新しいことに挑戦する時に臆病になってしまうのは当たり前です。
臆病なのは危険がないか確認するための動物の本能でもあるので、これを克服するには挑戦しても安全だと知る必要があります。
臆病な性格を変えたいと思う方は、新しいことに挑戦する→失敗する→失敗しても大丈夫だと知る、という流れを何度も繰り返すのが良いと思います。
大切なのは失敗することです。挑戦して成功するのは素晴らしいことですが、失敗を恐れてしまう臆病な気持ちを克服する練習にはなりません。
小さなことから失敗に慣れておくと、こころに免疫がつき、大きな挑戦ができるようになります。失敗しても自分は安全だと知っているからです。
最初から大きな挑戦をするのはリスクが高いので、失敗の経験ができそうな小さなことから挑戦するのがおすすめです。
臆病なのは自分が弱いからだと責めないでください。
性格のせいだけではなく、動物が生きていくための本能でもあります。
警戒心が強く慎重であるとも言えるので、必ずしも短所ではありません。
気にしすぎる必要はありませんが、克服したい方は「失敗しても安全だ」と感じるような経験を増やすよう行動してみてください。
お金としあわせの関係
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
お金があればしあわせになれるのか?ということについて考えてみたいと思います。
もしお金があればしあわせになれるというのが事実なら、収入が高い職業の方はしあわせだということになりますよね。
例えば、医者、弁護士、人気芸能人、海外ではセレブと言われる人々などがいます。
この方達は全員しあわせな暮らしをしているでしょうか?
おそらく違うと思います。
貧乏だとしあわせになれないというなら、今までの人間の歴史上ほとんどの一般市民はしあわせじゃなかったということになってしまいます。
昔も今と変わらず貧富の差は激しく、フランス革命の時は市民はパンも食べられず、江戸時代にも米を求めた農民が百姓一揆を起こしたりしています。
食事もできないほど貧しい人たちが歴史上にはたくさんいました。
では、その貧しい人たちは全員不幸だと思って毎日暮らしていたのか?
これもおそらく違うと思います。
江戸時代に黒船がやってきて日本が開国したことはご存知だと思いますが、そのときに海外から日本に来た人々が日本人の生活について多くの記録を残しています。
・日本人はいつもにこにこしている
・貧しくても助け合って楽しんで暮らしている
・どんなに田舎の貧しい家でもきれいに整頓されている
・貧しくても身なりは清潔できちんとしている
・貧しくても自分たち(海外の人々)にお茶や食べ物を振る舞ってくれる
このような記述がたくさん見られます。
この記述からもわかるように、貧しい農民でも助け合い、楽しくしあわせに暮らしていたのです。
幕府に年貢を取られて自分たちが食べるお米がなくても、贅沢品など1つも持っていなくても、人間はしあわせに暮らすことが出来ることを証明しています。
もちろん昔の日本だけではありません。
現代でもお金がない国はたくさんあります。山奥で自給自足の生活を送る民族もいます。
その人たちが、お金がないからという理由で全員不幸な暮らしをしているわけではないですよね。
貧乏と不幸はイコールではなく、同じようにお金があることとしあわせもイコールではありません。
ではなぜ日本人はお金がないのは不幸、お金があればしあわせだと感じてしまうのでしょうか?
原因は1つではありませんが、周囲との比較は大きな原因になっていると思います。
・〇〇さんはマイホームを持っているのに自分は賃貸マンションに住んでいる
・〇〇さんはベンツに乗っているのに自分は中古車
・〇〇さんは高級レストランで食事をしているのに自分はファミレス
・〇〇さんは高価なブランドのバッグを持っているのに自分はユニクロ
このように人と比べることで劣等感を感じ、お金があれば自分もしあわせな暮らしができるのに...と思ってしまうことはありませんか?
ですが、上の例の〇〇さんがしているのは「贅沢な」暮らしであって、「しあわせな」暮らしではありません。
お金があってできることは「贅沢」です。高級なものを高額なお金を払って手に入れることができるというだけです。
高価なものを手に入れることが人間にとってのしあわせだと思いますか?
手に入れた瞬間は嬉しいかもしれません。今まで手が届かなかったような高級品が自分のものになった喜びはあると思います。
ただそれは「しあわせ」ではなく「達成感」や「優越感」です。
ここが混ざってしまうと、高級品を持っていればしあわせだという間違った思考になってしまいます。
高額なお金を払って得られるものは「達成感」や「優越感」であり、その感情はすぐになくなります。更に上の人たちがいるからです。
日本一の大富豪になったとしても、世界にはもっとお金を持った大富豪がたくさんいます。
自分より上の人がいることがわかると「優越感」はすぐに「劣等感」に変わってしまいます。
欲を持つとキリがないのはそのせいでもあります。世界一にならない限りは「優越感」をキープすることはできません。
少し違う角度からもいくつか例を出して考えてみましょう。
歌の歌詞や映画のテーマやメッセージとして「当たり前の毎日がしあわせ」「大切な人と一緒にいられることがしあわせ」というのはよくあると思います。
「お金持ちになれてしあわせ」というものはあるでしょうか?
歌や映画などのメッセージは真実でなければ人のこころには届きません。真実でないメッセージでは人は感動して涙を流すことはできないと思います。
シンデレラのようなおとぎ話で、貧しい少女が王子様と結婚してしあわせになるというストーリーがあります。
シンデレラは王子様がお金持ちだったからしあわせに暮らしたのでしょうか。
その王子様が冷たく意地悪な性格でも、お金があればしあわせに暮らせるでしょうか。
違いますよね。
また、日本は災害が多い国です。
わたしが生きてきた数十年でも大きな災害がいくつも起こっています。
悲しいニュースを見るたびに、家族や大切な人たちが生きていて、暖かく暮らせる家があること、温かいごはんが食べられることがしあわせなんだと改めて感じます。
災害が起こることは悲しいことですが、普通に暮らしていては気づけないようなことに気づかせてくれることがあります。
この当たり前の暮らしがしあわせだという感覚を持てるようになると、毎日の生活がしあわせになります。
自分の周りの大切な人たちが生きていてくれることは当たり前ではありません。事故や災害、病気などで突然命を奪われることもあります。
平和な日常生活を当たり前だと思わずに、大切に感謝して暮らすことでしあわせな生活が手に入ります。
お金で得られる贅沢や優越感と、本当のしあわせを間違えないようにしましょう。
人は誰でも仮面をつけて生きている
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
「ペルソナ」という言葉を聞いたことはありますか?
心理学では、集団の中で自分の役割のためにかぶる仮面のことをペルソナと言います。
例えば、職場でしっかり者に見せるためや、家庭の中で良い父・良い母だと見せたい時に、本来の自分とは違う役割を演じることがありますよね。
これは誰でもしていることです。
特に職場ではほとんどの人が仮面をかぶっているでしょう。
疲れていても、納得がいかないことがあっても、職場で自分自身の感情を100%表に出すことは少ないと思います。
この仮面をかぶるという行為自体は、決して悪いことではありません。
誰でもかぶっているものであり、自分でも仮面をかぶっていることを自覚しています。
ただ、仮面の中には自分の個性に合わない仮面もあり、それを他人から押し付けられることもあります。
「母親なんだから〇〇しろ」
「子どもは〇〇するべき」
「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから〇〇しなさい」
「男は〇〇してはいけない」
「女なんだから〇〇くらいしろ」
というようなものです。
みなさんも1度はこのようなことを言われたことがあるのではないでしょうか?
この人から押し付けられた仮面を無理にかぶろうとするとストレスが発生します。
本当の自分とかけ離れた人物像を演じることになってしまうからです。
このような無理にかぶった仮面のせいでこころの病気になってしまう方も多いです。
他にも、自分の意思でかぶった仮面を脱げなくなってしまう方もいます。
「しっかりした人でいなければ」
「優しい人でいなければ」
と仮面をかぶり、自分の本当の姿を誰の前でも見せることができなくなってしまいます。
会社ではしっかり者を演じていても、家に帰ったら仮面を外して本来の自分に戻る時間が必要です。
会社では優しい上司を演じ、家庭でも優しい親を演じ、友達関係でも優しい人を演じているということはありませんか?
本当の自分は言いたいことをはっきり言うタイプなのに、常に我慢して優しく接しているということはないでしょうか?
それがストレスでなければ問題ないのですが、普段毒舌な人が優しい人を演じるというように本来の性格とかけ離れた仮面をかぶると大きなストレスが生じる場合があるので気を付けましょう。
子どもの場合は特に注意が必要です。
無意識に「親に心配をかけない良い子」の仮面をかぶらされてしまい、無意識にストレスが溜まり限度を超えてしまう場合があります。
子どもはストレスを自覚できないことも多いです。
大人が仮面をかぶるときはたいてい自分の判断で「ここではこういう役割を演じた方がいいな」と感じた時です。
子どもは自分で仮面をかぶることを自覚しているとは限りません。
「お母さんの前では良い子のフリをしてよう。いなくなったらこっそりイタズラしよう...」と仮面を外す切り替えができる子もいれば、「自分は良い子でなければいけない」と思って無理をしてしまう子もいます。
子どものこころはとても純粋で繊細です。
例え親でも子どものこころをすべて理解することは困難です。心理学者やカウンセラーであってもこころのすべては理解できません。
「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから〇〇しなさい」と日常的に言ってしまうと、常にそうしなければいけないと思ってしまう子もいます。
大人になってもそれを引きずってしまうことも少なくありません。自分の気持ちを言わずに我慢することに慣れてしまい、社会でもストレスを溜めやすくなります。
弟や妹によって相手のわがままには「我慢する」という癖がついているからです。
時には相手の意見に反論することも必要ですし、相手が悪い場合はすべてを我慢して受け入れる必要はありません。
兄ちゃん/お姉ちゃんだから我慢しなければいけないというのは、子どもにとっては理不尽な理由です。何が悪かったのか、なぜ我慢する必要があるのかをしっかり説明してあげてください。
兄弟ゲンカを止めたいという親の都合で子どもに仮面をかぶらせないようにしましょう。
自分が仮面をかぶっていることを自覚すること、仮面を外す時間をしっかりつくることが大切です。
本来の自分がわからなくなってしまったり、無意識に仮面をかぶり続けていたりすると、こころにも悪い影響を与え病気になってしまうこともあります。
たまには自分自身を100%出せる環境をつくってリフレッシュしてください。
今回参考にした、ペルソナについてわかりやすく書かれている本です。
こころのタイプや人の性格、コンプレックスなどについても書かれています。
1人で行動する習慣をつける
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
いつも誰かと一緒じゃないと行動できないという方がいます。
買い物に行くのも、カフェに入るのも、レストランで食事をするのも...
他人に依存してしまっていたり、他人の目を気にしすぎていたりと原因は様々です。
人間は多かれ少なかれ人に依存して成長していきます。
赤ちゃんや子どもの頃はすべてを自分ですることはできません。特に赤ちゃんの頃は1人でごはんを食べることも1人で歩くこともできません。
成長して反抗期などを迎え、少しずつ家族から自立していきます。
タイミングはひとそれぞれで、中学や高校に進学したとき、大学に行くために親元を離れたとき、社会人になって一人暮らしを始めたときなど大きく環境が変わった時に自立が促されます。
精神的な自立と物理的な自立があります。
社会人になり一人暮らしをして家族と生計を別にしていても、頻繁に家族と連絡を取ったり会っていたりと精神的に自立できていない場合も多くあります。
または、家族の代わりに友達やパートナーと常に一緒にいるという場合もあります。
常に誰かと一緒にいないと不安という状態は、こころが自立できていない可能性があるんです。
カフェでコーヒーを飲むのも誰かと一緒じゃないと無理...という方は精神的に自立する練習をしてみてください。
どうして1人だと不安なのか、何が心配なのか、何を気にしているのか、自分のこころと話し合ってみましょう。
1人でいることに慣れてしまえば問題ありません。1人に慣れていないので不安になります。
意識的に1人の環境をつくることで少しずつ慣れてきます。
周りの目が気になる場合は、人が少ないカフェなどがおすすめです。
混雑しているチェーン店などでも、朝早い時間帯は出勤前に1人でコーヒーを飲んでいる人がたくさんいるので、1人だということを気にせず過ごせます。
買い物も、1人でお店にいるところを誰か知ってる人に見られるのがイヤ...という不安がある場合は、休日の午前中に行ってみるのが良いと思います。
お店も空いていますし、早めの時間は1人で買い物をしている方が割と多いです。
いきなり1人で食事に行くなどはハードルが高いと思いますが、まずはコーヒーを一杯飲むだけとか、1時間1人で買い物をするとかできそうなことから慣れてみてください。
1人で行動できるようになると相手との距離感が適度に保てるので、相手に負担を与えることなく人間関係を築けるようにもなります。
どちらか片方に依存的な部分があると、相手は重く感じてしまうことがありうまく付き合っていけません。
お互いに依存し合うような人間関係しか築けなくなります。
お互いが自立していると、一緒にいるときは楽しく遊び、1人の時は自分がしたいことを楽しむというメリハリがついた生活ができます。
相手からの返信を気にしすぎたり、不安になることも少なくなります。
常に誰かがいないと不安、SNSなどで繋がっていないと不安という方は、1人で行動する時間を少しずつ増やしてみてください。
最初は週に1回1人でカフェに行く程度で構いません。
1回目は楽しく思えないかもしれません。ですが慣れてくると、今日は読みたい本を持ってゆっくりしようとか、ちょっと遠くの気になるカフェに行ってみようとか楽しみが出てきます。
こころが自立すると人生が本当にラクになるので、ぜひ試してみてください。
褒められたときに「否定」していませんか?
こんにちは。
心理カウンセラーのココロノです。
他人から褒められたとき、謙遜しているつもりで「否定」していませんか?
素敵だなと思った方に「素敵ですね」と褒め言葉を伝えても、「全然そんなことないです!」と全力で否定する方がいます。
否定と謙遜は違います。
褒められたことを否定するのが謙遜ではありません。
素直にお礼を言ったり、「そんなふうに言ってもらえて嬉しい」と謙虚に伝えたりしても大丈夫なんです。
例えば皇后さまのような日本の文化もマナーも知りつくしている方ならどうするか想像してみてください。
おそらく一般的な褒め言葉に対しては「ありがとうございます」と謙虚にお応えになるのではないでしょうか。
「そんなことないです」と相手の言葉を否定されるでしょうか。
正しく謙遜するということが大事です。
自分に自信がない方ほど否定してしまうことが多いように感じます。
褒め言葉を素直に受け入れることで、自分の自信にも繋がります。
せっかく褒めてもらえたのに、わざわざ否定する必要はありません。
相手の方の立場を考えてみても、否定されることは嬉しくありません。
「素敵ですね」と褒めたのに、「そんなことない!」と否定されたら、そのあと返す言葉がないですよね。
相手側から見れば「素敵だと思ったから伝えたのに否定された」状態です。
あなたが褒める側だった場合、どんな反応が返ってきたら嬉しいですか?
「ありがとうございます」とか、「嬉しいです」と照れながらも言ってくれた方が嬉しくないでしょうか。
もちろんお世辞や社交辞令で褒める場合もあります。
お世辞なのにお礼を言うのはちょっと恥ずかしい...調子に乗ってるように思われそう...と思うこともありますよね。
そういうときは「お世辞でも嬉しいです、ありがとうございます」と伝えましょう。
お世辞だからすべて否定しなければいけないというわけではありません。
お世辞だと言うことはわかっている、でも褒め言葉をいただけたことは嬉しい、という風に伝えれば、イヤな印象を与えずにお礼を伝えられます。
日本人は、謙虚であることが美徳と考えます。
控えめな奥ゆかしさを大切にする素晴らしい文化だと思います。
それは自己否定することや、相手の言ったことを否定することとは違いますよね。
謙遜・謙虚と、否定を混ぜこぜにしないようにしましょう。
自分で自分を否定してしまうと、自覚がなくてもこころが落ち込みます。
否定することが癖になり日常的になってしまうと、知らず知らずのうちにこころにダメージが溜まってしまうんです。
そうやって少しずつ溜まったダメージが表に出てくると、「なんかわからないけど落ち込む」ような症状になることがあります。
原因がわからずに気分が落ち込んでしまうことはありませんか?
もしあるなら、無意識のうちにこころがダメージを受けている可能性があります。
普段使っている言葉、話し方、人との対話の中で、自分を否定するような癖がついてしまっていないか振り返ってみてください。
すぐに変えるのは難しいと思います。
人前で褒められたことを受け入れられなかった場合には、家に帰ってから(または1人になれる環境で)思いっきり褒め言葉を受け入れて喜んでください。
褒められたら嬉しくて喜ぶという素直な感情を大切にしてください。