ちょっとおかしなツインレイ

ツインレイ体験を通して自分自身を成長させていくブログ

ツインレイ*生きることすべてが楽しくなってくる

最近ふと「なんかもう生きてるだけですべて楽しい!」と感じた。

ツインレイと出会ったころやサイレント期間に入ったばかりのころはいろいろな情報に振りまわされて「正解」を探してしまっていた。

サイレント中期には使命探しやチェイサーの課題に追われていた。

不安とまではいかなくても「これでいいのか?」「大丈夫なのか?」という気もちが常にあったと思う。

でもツインレイだとか課題とか使命とかそういうのすべて含めて、もう何でもいい!精一杯生きてるだけで楽しいじゃん!と思うようになった。

ツインレイと出会ってしまうと自分の人生の中心がツインレイストーリーになってしまう。

わたしの人生はわたし自身が中心であるべきなのに、ツインレイとしてどうあるべきか?というツインレイ概念が入りこんでくる。

ツインレイとしてこれでいいのか?チェイサーの課題はクリアできているか?

毎日ではないけれど、そんなことを考えながらサイレント期間を過ごしていた。

サイレント中期〜後期にかけては自分の夢や使命のためにすすんでいたけど、どこかで「ツインレイとして」という意識があったと思う。

それがすっかりどうでもよくなったというか......

ツインレイ彼のことだけじゃなく、ツインレイという概念そのものがどうでもよく感じる。

決して悪い意味の「どうでもいい」じゃなくて、楽観的に「すべてはうまくいくからその過程はどうでもいい」という感じ。

サイレント期間の終わりにはツインレイ概念も手放すといわれているけど、こんな感じなんだろうか。

使命に向かっていることとか夢を叶えることももちろん楽しいんだけど、たぶんそれがなくても楽しい。

毎日生きて、呼吸をして、心臓を動かして、この地球に命があることが楽しいという感覚。

人間としてのわたしじゃなくて、魂の感覚なのかな。

きっと魂なら、地球で生きてること自体を楽しんでいるはずだから。

嬉しいことも悲しいことも、しあわせなことも傷ついたことも、肉体をもつ人間として経験するすべてのことを「楽しい」と感じるはず。

窓から空を眺めるだけでも楽しい。

散歩するだけでも楽しい。

家族や友だちと会って話すことなんて最高に楽しい!

生きることの本質は楽しむことなのかもしれない。

だって、赤ちゃんはみんな楽しそうだ。

いろんなものを見て、いろんなことを知って、毎日しあわせそうに生きている。

不幸そうな赤ちゃんは見たことがない。

しあわせに生きているから、赤ちゃんの存在自体がまわりの人をしあわせにできるのかも。

赤ちゃんとか動物ってその存在を見てるだけで癒されるけど、例えば一般的なサラリーマンを見てるだけで癒されるってことはない。

何が違うんだろうってぼんやりした疑問は持っていたけど、自分が生きて存在してること自体を楽しんでいるかどうかなのかな。

楽しそうな人を見ると楽しい気もちになるし、元気な人を見ると元気をもらえるってことはよくある。

グチグチ文句を言っている人やイライラして八つ当たりしている人を見るとイヤな気もちになる。

人間は自分が見ている対象から影響をうけやすい。

心の底から楽しい!生きててしあわせ!って思っている人からはしあわせをもらえるんだろう。

 

今は生きてることがしあわせだと思える。

宇宙を信じてるから、自分の人生はすべてうまくいくと思える。

赤ちゃんのように純粋に「生きる」ということを楽しんでいればいいのかもしれない。

ツインレイに出会うといろんなことをむずかしく考えちゃうけど、悩んで苦しんで考え抜いた先にあるのは「生きる」という本質だけなのかも。

人間はきっと、生きて生きて生きて生きて生きて死ぬために生まれてきてる。

その間にいろんなことが起きるから本質を見失う。

何のために生きているのかと考えてしまうけどそうじゃない。

生きるために生まれてきたんだ。

 

ツインレイに出会っていてもいなくても、人生を生き抜いて楽しむことを忘れちゃダメだ。

1日1日を悔いなく一生懸命生きていけばいい。

「生きる」という圧倒的な人生の目的には、日常で起こるどんなトラブルもかなわない。

苦しいことも悔しいことも、すべてをめいっぱい楽しもう!

 

 

ツインレイの始まりはこちらの記事から。

cocorono.hatenadiary.jp

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